過疎問題を考える9

(ひかり116号R4.3.1)

住職・僧侶の使命
 
 住職僧侶はご門徒のみならず社会の悩める方々に寄り添い歩まねばならないと痛切に感じたことを今回はご紹介させていただきます。
 
 11月15日、自坊で開催するトークライブの歌手から「母が体調不良のこともあり、自身も周囲でつらい出来事に悩んでいるので明日行けないかもしれない」との一報が前夜遅く入ったのです。彼女には「お寺は通夜葬儀など急な予定ばかりで臨機応変に対応できるから気にしなくてもいいですよ」「今できる最善の道を選んで行動しましょうよ」などと伝えました。でも、当日の昼頃になって何とか都合をつけてくださり、「3時までにはお寺に着くから待っててください」と連絡がありました。一度は中止の案内をしたにもかかわらず、地元の方々数名が来寺くださり、何とか開催することができました。トークの中で彼女は、私が前夜に伝えた『今できる最善の道』のことを参加者にご紹介くださり、「その選択ができてここに居ます」そして「阿弥陀さまの前で唄えること、一度は断念しかけたライブが今できていること、全てはおかげさまの世界ですね」と語ってくれました。とても嬉しい言葉でした。
 
 翌朝、隣の老婦がお寺の前で立ち止まり「同世代の人は農作業に汗をかいているのに、私は目も見えにくく足腰も弱いので、皆んなからだらだら遊んでいるという目で見られているのでは?」と私につぶやかれました。しばらく病の悩みを傾聴したのち、お釈迦さまがお説きになられた根本苦(生老病死)に苦しむ人生を歩む私に、抜苦与楽するのが仏教の意義である云々のミニ法話。悪いこともおかげさまって思える人生もいいですねと二人で頷き、ご本尊に向かって念仏申しました。
 
 お昼過ぎにホームページの相談窓口からのメールが届いており、東海地方の41歳主婦からの相談で、お墓参りなど仏事を義母がせず、全て嫁任せにされているといった内容でした。詳細を尋ねるため3回ほどメールのやり取りののち、私のつたない返信を涙しながら読んだこと、自身がしてやっていたとの気付きもあって、これからも気軽に相談させてほしいと丁寧な返信がありました。
 
 以上の方々は自坊のご門徒ではありませんが、今までお寺にご縁の少ない悩める方々が全国に大勢おられ、住職や僧侶である我々に藁をもすがる思いでこたえを求められていることに気付かされたのです。
 その求めの受け皿は、お寺やご門徒宅に限らず、どこでもいいのでした。
 時に冷静さを失い、時に私だけが不幸だ、時に私だけが一生懸命頑張ってるのに、と憂い悶えてしまうお粗末なわたし(凡夫)を救うために働いてくださる阿弥陀さまがいらっしゃいます。
 その救いの手の中にあることの喜びを、「住職僧侶として、変わりゆく時代の中でいかに創意工夫して伝えてゆけるのか」と自問自答しました。
 過疎対応支援員として寺院活動を支援していくなかで大切なことを学ばせていただいた2日間でした.

桑名晴子さんのトークライブ