シリーズ 過疎問題を考える2

ひかり109号記事
2019/11/1

シリーズ 過疎問題を考える
 人口の過疎はいたしかたない事かも知れないが、信心の過疎だけはなんとしても進行させてはならないと思います。
 老人福祉施設の相談員やケアマネージャーとして、私は介護保険制度創設以前より福祉現場で過ごしてきました。
 最近つくづく思うのは、家族が介護するのが当たり前だった時代では、息子、嫁、娘などに「すまんの」「おおきによ」と感謝の言葉が自然と出てきていたように思うのですが、今はどうでしょうか。
 子や嫁に「世話をかけたくない」、「迷惑かけられない」と家族に気遣う場面が多いように思います。
 介護サービス利用者さんの中には、家族と会話する時間より介護員さんと過ごすほうが長いとおっしゃる方がいてもおかしくありませんね。
 日常生活の全てを介護員がフォローできっこないのですが、介護サービスに頼るあまり、家族の絆が崩壊し始めてきていると感じているのは私だけかも知れませんが。
 お寺のことで言うと、親の年回忌法要で家族に気を遣い、「子ども達は忙しいから夫婦だけでお参りさせていただきます。」と、大切なご法事に遠方の方はともかく、近隣や同居の親族さえ集まらないのは残念極まりないことですよ。
 「世話ないから」という理由で、安易に家族葬を選んだり、葬送儀礼などが略式化されてきているのです。
 私はこのようなことが「信心の過疎化」だと思うのです。
 今一度、仏縁を通して子や孫に伝えるべきことを考える必要があるように思います。(楠原)