シリーズ 過疎問題を考える5

ひかり112号記事(R2.11.1号)
2020/11/1

シリーズ 過疎問題を考える
 
 新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、各地の寺院でオンラインでの法要や行事が行われています。築地本願寺などがいち早く各種法要をユーチューブでライブ配信しましたね。
 私も時折築地本願寺のおあさじのお勤めを視聴していますが、法要に参拝したという気持ちは全く起こらないのです。定位置で固定された画面で見る本堂では、賽銭箱に投げ入れる音、参拝者の雑談、足音、鐘の音など視覚や聴覚に限界もあり、当然ながらお香の香りなどの嗅覚は全く感じられません。
 つまりオンライン法要に参拝したとは言えず、ただ視聴していたのです。実際の法要と同じように「ありがたい」と感じられるかといえば、全くそのようには思えませんでした。
 葬儀にも、オンラインの導入が進んでいます。式場にカメラとパソコンを置き、インターネット経由でライブ配信。香典や返礼品をクレジット決済できるサービスを考えた葬儀業者もあるそうです。
 都道府県を越えた移動の自粛が求められた際や、感染すると重症化するリスクが高いとされる高齢者にとっては「ありがたい」取り組みなのかもしれないですが、オンラインでどれだけ満足できたのか、今の時期だから代替手段としてやむを得ないのかなどとじっくりと検証することで今後のあり方が大きく変わると思います。
 私自身は過疎化が進む地方寺院であっても、安易に他の法要と同様の感覚でオンライン化を進めることには、慎重でありたいと思っています。
 遠く離れた故郷にわざわざ帰省し、お墓やお寺に参拝することの大切さがそこにはあると思います。ソーシャルディスタンスという言葉も今では当たり前に使用されていますが、他人との距離を少しとることだけで十分なのではないでしょうか。必要以上にこれまでの人間関係や親戚付き合いなどの距離を広げてはなりません。
 映像では得ることのできないふれあいや感性をこれからも求めたいと思います。           (楠原) 


まだまだ参拝客は戻りません(西本願寺)