おわりに

 2~3日仕事を休むと「どうしたん?風邪でもひいたんかい?」と心配してくれるおばあちゃんがいました。私にとっては通勤するただの職場、でも年中施設で暮らしているお年寄りにとっては孫のような存在。そう彼らの生活の場に私たち職員が入り込んでいたのでした。
 冬の寒い日でも玄関に入ったとたん暖かい空気に触れることができましたし、テレビの音やBGMなど、職場というよりは生活空間でした。
重度の認知症で、息子の顔さえ忘れてしまっているのに、月例法要では仏間に正座して、『阿弥陀経』をそらで一字一句間違えずにお勤めするHさん。寝たきりでもお念珠を肌身離さず身につけて、「なんまんだぶ」といつも申していたNさん。「ありがたい、ありがたい」と手をつかむとなかなか離そうとしてくれないYさん。「死にたい、死にたい」と漏らし号泣するTさんの本音が、息子がなかなか面会に来てくれなかったことだと知ったときには、自分の無力さを思い知らされもしました。
 あの人この人、「みひかりのなかに照らされているいのち」をそのたびに確認しました。好んで入所してきた人は一人もいないし、その運命に逃げられず、逆らえず、しかし、その「いま」を慶び一生懸命生きてこられた姿は、まさに阿弥陀さまのみひかりに照らされている証しだと思いました。
私にとっての施設在職15年は、単なる節目としての15年ではなく、僧侶として、いや宗教者として、「いのちとどう向き合うか」を深く考えされられた歳月でした。
クリスマス会ではサンタさんに扮し、保育所の子ども達に囲まれて「メリークリスマス!」と。年末には大きな門松を二日がかりで製作し、新年の飾り付けをほどこし、七夕まつりではエレクトーンを伴奏して「七夕の歌」を合唱合奏し、節分には(必要なかったかもしれないが)鬼の面をかぶって「鬼は外、福は内」と、毎月行う施設の行事を企画・演出してきた自分の姿とも向き合えました。
 そのたびに、「俺は真宗の坊主や!」と葛藤にさい悩まされては、現実逃避したかったことが幾度もありました。
 施設行事の一つとして、月例法要を毎月お勤めさせていただくことができ、ほんの数分間、法衣姿で多くの方々にお話しできたことは私にとってこの上ない財産となっています。
 ふと「こじんまりとした環境で、僧侶姿でお年寄りとふれあえて『生死出ずべき道』を共に語らうことのできる、そんな生活がええなあ。」と一念発起し、平成18年から居宅介護支援事業所「妙願寺ケアサポートともしび」を立ち上げ、爾来地元住民の元で相談援助業務にいそしんでおります。
 そしてなお、こころに描く『理想郷』づくりへの想いが、日に日に高まるばかりです。 合 掌