お仏壇のQ&A

Q&A of a Buddhist alter

日ごろ疑問に思っていること、どうしたらよいか迷っていることなど、お答えします。
以前、日高組報「ひかり」に掲載しました原稿も載せています。

ご相談窓口から投稿いただければ、この欄に後ほどUPさせていただきます。

Q お仏壇の云われと構造をおしえてください。

 A 人が人としての生活を営むために必要としたいろいろな条件の変化にしたがって、現在の家屋の形態が整えられてきたように、仏壇もさまざまな形を変え、今日の形になりました。
 仏様の屋形を厨子と呼びますが、それは単なる入れ物ではなく、必ず一段高いところに安置する場所をこしらえ「壇」になっているところに意味があります。この壇はただ空間的な高さを示しているだけでなく、仏様の世界をあらわしているのが特徴です。つまり仏教でいう、世界でもっとも高い位置なのです。(これを須弥山と呼びこれを形どったものが須弥壇です)
 本堂の内陣のつくりと全く同じものですね。
 憎しみや悲しみ、怒りや争いの絶えないこの地上にありながら、仏教でいう最高の世界と、いつも対面することができるのです。
◎お仏壇は家の中の小さなお寺です。

Q ローソクの火はなぜつけるのですか。

A ローソクの火は「単にお仏壇を明るくするため」にあるのではなく、もっと深い味わいがあります。
お仏壇をお荘厳(ご本尊を美しく飾ること)する基本の一つに、仏具を用いてローソクに火をつける点燭というのがあります。確かに火は私がつけるのですが、ついた火は阿弥陀如来のお徳として味わうことが大切であります。

またローソクの火には次の二面があります。その一つは「光」です。周囲を明るく照らすその光は阿弥陀如来の智慧を表します。私の心の奥底までも見透かし、迷いの闇を隈無く照らして真実に向かわしめる智慧の光明です。
もう一面は「熱」で、これは阿弥陀如来のお慈悲を表します。熱が氷を溶かすように、お慈悲の温もりが私の固く閉ざした心を少しずつ溶かして下さるのです。また、その炎からもひとときも休むことなく働きかけて下さっている阿弥陀如来のお慈悲が伝わってくるでしょう。
 このように味わってゆくと、ローソクの火がこれまで以上にかがやいてくるのではありませんか。

Q 仏花はなぜご本尊の方でなくこちら向きなのでしょうか。

A 花瓶に飾られた生花に心が和み、道端の山野草に心洗われることがたびたびあります。
 花は、ある時は病床に臥す者の沈んだ心を慰め、ある時は文字通り花嫁に花を添えます。このように誰からも喜ばれる花ですから、敬愛や感謝の代弁者ともなります。こうして見てきますと、仏花を心からお敬いする如来様にお供えすることも、ごく自然な行為だと言えます。
 すなわち、仏花をお供えするのは如来さまのお徳を讃え、そのご恩に感謝する気持ちの表れなのです。しかし、ただ単にこちらの気持ちを表すだけではないのがお荘厳です。前号での「ローソクの火」でも申しましたが、それと同じく、お荘厳としての仏花は、私の方に向けて供えた花が、そのまま私に注がれている如来さまのお心を表していると味わうことが大切です。
 阿弥陀如来さまは無量寿如来ともいわれ、量りなきいのちの仏様です。短いいのちを精一杯輝いて咲いている花を通して、全てを生かし育んで下さる如来様のいのちに触れられるのです。また、みずみずしい清らかな花からは、お浄土を想い、心和やかなうちに如来さまのお慈悲を味わわせていただけるのです。

Qなぜお線香を寝かせるのですか?また本数は決まっているのですか?

A 香はお荘厳の一部であり、時と所の不浄をすべて清めるとされています。お浄土の香りはどのような香りかというと、「清浄香潔」という言葉がお経に見受けられます。
 お浄土の清らかな香りを表わすために香を用いるのです。

 また、お香の香りは区別・差別なしでそこにいる全員に「平等」に行き渡ることにも重要な意味があるようです。
 香を焚いている場所では、どのような人でも誰もが同じ匂いを嗅ぐのです。平等覚といわれる悟りの世界「お浄土」は、まさに「万人平等」なのです。

 本題に入りますと、他宗派では線香を立てるところがありますが、浄土真宗では何故寝かせるのかというと、線香とは別の常香盤というものを用いていたことに由来しています。
本山や別院では現在でも常香盤を使用していますが、燃香という粉末した香を使い、香炉の中の灰に型を使い凹部を作り、粉を入れて使用します。
 本数は一般的には1~2本ですが、正式には各宗派で異なります。
 浄土真宗では常香盤を起源としているので線香を1~2本適当な長さに折って火をつけ、香炉に横に寝かせます。

 お香を焚くことで、阿弥陀如来さまのお慈悲が分け隔てなく行き渡り、その匂いには大きな「お働き」があることに気づく。香をくべるたびに、如来さまの願いをお聞かせいただくとともに、如来さまの徳を味わわせていただくのです。

 高価でも良質の香りのよいものを使用しましょう。

常香盤

Q 仏前に毎朝お水をお供えしているのですが、、、

A 阿弥陀経に説かれるお浄土の特徴の一つに、「八功徳水(はっくどくすい)」があります。お浄土はこの上もなく清浄で、美しい八つの徳をもつ水に恵まれているのです。

浄土真宗には、水やお茶をお供えするという作法はありません。
 仏壇の上卓にある華瓶という仏具、これは水の瓶なんですが、小さな一対の華瓶に樒 をさし、水を注ぐと、樒が水の腐敗を防いだり、香りを与えるという効きめがあるのです。つまり、華瓶の水は八功徳水なのです。

宗旨の違う家庭では、ご先祖もさぞかしのどが渇くだろう、とお水やお茶の入った湯飲みを整然と仏壇に供えているのを見かけます。お仏壇が死者の「入れ物」のようにも見えるのですが、第一、お供えの意味合いが違うように思うのです。

 お供えは、こちらから仏様に物品を差し向ける、いわゆる追善回向の行為ではないということです。
と言っても「水そのものがいけない」ということではありません。水は私たちの生活に欠かせない貴重な自然の恵みです。この尊い水を如来さまのお恵みと味わい、生かされていることへの感謝からお供えするなら、それは立派なことです。
そういう報恩の思いからお水を供えるために、真宗では華瓶を用いるのです。
 仏事には作法があり、ご飯(お仏飯)は茶碗でなく仏飯器を、お水はコップや湯飲みでなく華瓶を用います。

華瓶(けびょう)

Q お仏壇の中をきれいに整理したいのですが・・・

A お仏壇はご本尊を安置し、家族一人ひとりの心の依り所となる所ですから、常に清潔で気持ちよく整えておかなければなりません。
 ところが、ご質問のように、お仏壇の中に不要なものも交じって仏具が煩雑に置かれていたり、ほこりがたまっていたりするお宅があります。
 こうした光景に出会うと、改めて「お仏壇は心の鏡だなあ」と思います。
 つまり、お仏壇を見れば、その家庭の日頃の心の状態が想像できるというものです。
 お仏壇の中を整える第一歩は、それぞれの仏具を定められた所にきちんと置くということでしょう。よく経卓の上にローソク立てや香炉を置いている方がいますが、経卓には経本(聖典)のみを置き、ローソクや線香の箱、マッチなどは置かないようにします。また、ローソク立てと香炉は三本足になっているものが多く、この場合は一本が正面にくるように置きます。
 次に、不要なものを置かないというのも大切です。
例えば、
①他宗の仏像や祖師像
②お守りの札
③茶湯器やコップ
④遺影・位牌などです。
 これらは浄土真宗のお仏壇にはふさわしくありませんので、お手次ぎのお寺に相談されて、取り除いて下さい。
 最後に掃除ですが、漆(うるし)塗りの部分はやわらかい布で乾ぶきし、金箔(きんぱく)の部分は毛ぼうきや乾いた筆で軽く払います。ともに油や水分を嫌いますので、素手で直接ふれないことです。真鍮(しんちゅう)製の仏具は金属磨きで磨きます。
 また、マッチの燃えかすを香炉やキンの中に入れる方がいますが、マッチ消しや灰皿へ入れるようにして下さい。
 お仏壇自体が傷んでくれば、仏壇店などで“お洗濯(せんたく)(修理)すると新品同様になります。


仏具は定められた位置に。
三本足の仏具は正面に一本。
お札、遺影などはお仏壇に入れない、宝くじも・・・。
お仏壇が傷めば“お洗濯”

浄土真宗の仏壇

Q お仏壇の脇に置いている黒い箱は何でしょうか?法事でご院主さんが読んでいましたが、、、。

A 「御文章」といいます。御文章は、本願寺第八代宗主・蓮如上人(1415~1499)が「南無阿弥陀仏」のみ教えをご門徒に分かり易く書き表されたお手紙のことです。
 現在、『御文章』として広く知られるものは、五帖(じょう)八十通(つう)から成っていて、「御文章」を年代順に配列しますと、158通ほどになります。その上に年月の記されていないもの、類似の文、消息文などを加えますと、313通にもなるといわれています。
 浄土真宗のみ教えが今日のように、全国に広がり伝わっていったは、蓮如上人の布教伝道、すなわちこの「御文章」によるところが大きいのです。
 蓮如上人は、ご本尊を「南無阿弥陀仏」に、朝夕のお勤めを「正信念仏偈・和讃」にそれぞれ統一され、ご本尊、お勤め共に今日に至っています。
 正信念仏偈と三帖和讃はお仏壇の中央に御文章箱より小さめの箱にあります。
 上人は、ご門徒と共に「正信偈・和讃」をお勤めすることによって、ご門徒の日常生活の中にまで南無阿弥陀仏のこころを浸透させようとされたのでしょう。
 さらに、一通一通の「御文章」を通して、この南無阿弥陀仏一つで、凡夫のこの身のままで仏にさせていただくただ一つの道であることを、ご門徒に訴えていかれたといえます。
 御文章拝読の際、他の方は頭を下に傾けて聞きます。
 朝夕のお勤めの際には、是非ともお正信偈さんと御文章を拝読いたしましょう。

御文章箱
和讃箱

Q お仏壇を購入しました。父が生存中なので仏壇店で預かってもらっています。

 この質問は、二十数年前に新築された新家で、父親の病気をきっかけにお仏壇を求めたものの、まだ必要ではないのでとの相談を受けて返答しました。

A 「うちには亡くなった人がいないからお仏壇はありません」と言っている人がいます。これは、お仏壇を位牌壇と思い違いしているからです。お仏壇の中心は、あくまでもご本尊で、ご本尊とともにご家庭で生活するのが浄土真宗の正しいあり方です。
 ご本尊をまつらないで、位牌や過去帳だけを安置してあるのは、いわゆる“位牌壇”であり、お仏壇ではないんです。
 お仏壇の中心は「阿弥陀如来」というご本尊で、はかりなき「ひかり」と「いのち」の仏さまです。
 亡き人を祀る壇ではないんですよね。
 この「阿弥陀如来」という仏さまをご本尊として仰ぐのは、迷える私たちをお救い下さる尊い仏さまだからです。
だからお仏壇の安置している部屋「仏間」はもっとも尊厳な場所であり、ご家庭の中心ともいえる場所なんですよ。
 また、お仏壇はお寺の本堂のミニチュア版でもあります。ご自宅に安置することで、毎日すぐに手を合わせお念仏申すことのできる場所なんですよ。
 うれしい時、悲しい時、苦しい時、つらい時にお仏壇の前で阿弥陀さまに報告しましょうよ。
 そんなあなたに寄り添って、ともに喜び、悲しみ、悩み、泣いてくださる仏さまを今すぐお迎えしましょうよ。

後日、入仏慶讃法要を無事終えました。

ご家族そろってお仏壇でお念仏申しましょう

Q うちでは毎朝パン食なのですが、お仏飯はいつ供えてもいいのでしょうか?

A お仏飯は、他のお供物とは別に、特に大事にされており、毎朝ご飯が炊ければ一番にお供えすることになっています。仏飯器と呼ばれる専用の器に蓮のつぼみ形に盛り、ご本尊前の上卓、あるいは仏飯台に置きます。もし、両お脇懸(わきがけ)が御影像なら、その前にもお供えすることもありますが、過去帳や位牌の前には供えるものではありません。
 朝、お供えしたお仏飯は、午前中にお下げすることになっていますが、ご質問のように最近はパン食も増え、必ずしも朝ご飯を炊くとは限らなくなりました。そんな場合、朝でなくても、ご飯を炊けば必ず真っ先にお仏飯としてお供えするよう心がけて下さい。
 また、法事の時など、他のお供物はあるのに、お仏飯が供えられていない場合があります。せっかくの法事ですから、ご飯を炊いてお供えしていただきたいものです。

御影堂のお仏飯

Q お仏壇を整理していると、切れたお念珠が出てきました。そのままゴミ箱へとも思ったのですが、どうすればいいでしょうか?

A 念珠といっても、いろんな材質を用いたものがあります。高級なものをあげると、瑪瑙(めのう)、珊瑚(さんご)、水晶などの宝石類です。これは、たとえ切れたからといってそのままにしておくことはなく、仏壇店や念珠店で修理してもらえばいいのです。また、材質はさほどのものでなくても、亡き人の思い出につながる念珠も、なるだけそうしたいものです。
 しかし、修理するほどの念珠でないものや、不要なものも中にはあるはずです。ではこれらをどうするかといえば、やはり処分するしか仕方がないでしょう。ただ、念珠はあくまでも法具ですから、そのままポイとゴミ箱に捨てるのではなく、他の生ゴミなどの汚物と混じり合わないよう、ビニールの袋などに包んで廃棄するよう心がけて下さい。
どうしても廃棄できないとおっしゃるならお手次のお寺に持参されても良いかと思います。

お念珠の扱いは丁寧に

Qお仏壇でのお参りの方法を教えて下さい

 A 礼拝の作法は?という質問でしょうが、たいていは、見よう見まねでやっている人が多いようです。
 ①念珠(数珠)を必ず持つこと。念珠を持つときは、房を下にして、左手で持ちます。片手だけにかけたり、珠をすりあわせて音を出したり、手のひらににぎりしめたりはしません。
②合掌をする。
合掌は両手を合わせて念珠をかけます。位置は胸元に手首が触れるところで、角度はのばした指先と上体が45度ぐらいにします。
③称名。
お念仏をとなえましょう。
浄土真宗の門徒なら必ず「ナモアミダブツ」と声に出してお念仏を称えて下さい。黙念合掌は浄土真宗にはありません。人と人とのあいさつでも例えば″こんにちは″と相手に言葉をかけておじぎをします。お念仏は仏さまへの感謝と尊敬のことばです。
④礼拝。
礼拝は念珠をかけて合掌したその姿勢のまま上体を、45度前に傾けて、ゆっくりと元の姿勢に戻します。
⑤キンは打たない。
チンチンとキンを鳴らしてから拝む人が多いようです。浄土真宗にはそんな作法はありません.お経をよむときにだけキンは打つものです。キンを打たないと相手に通じないと思われるかも知れませんがとんでもない考えちがいです。

Q 通夜や葬儀の時はお仏壇の扉を閉じなければならないと聞きましたが本当でしょうか。

A 結論から言いますと、お仏壇の扉は通夜や葬儀・年忌などの仏事の際はもちろん、毎日開けておくものです。
 お仏壇の扉を閉じるのは、引っ越しやお部屋の掃除の時ぐらいで、夜間も閉じる必要はありません。
 「通夜や葬儀の時は扉を閉じるように」と言われた方は、たぶんお仏壇を神棚と同じように考えておられるのだと思います。
 仏教は、親しい方の死を尊い縁として自らの死の問題に気づく事の大切さ、そしてその死を超えて行く道を教えて下さるものであります。
 ですから、仏さま(阿弥陀如来)をご本尊に安置されているお仏壇は必ず開けておきます。
 そして悲しみの中から、お浄土に仏さまとして生まれられた亡き人を偲び、共にまた会える(倶会一処)世界(お浄土)のあることを聞き続けてゆく尊いご縁がお仏壇なのですね。

Q 毎朝、般若心経をお勤めしていますが、浄土真宗ではお勤めしないと言われました。なぜでしょうか?

 A よく知られている「般若心経」という経典は、人間が般若の智慧を得て、自ら悟りを得る自力の教えが説かれている経典です。
 浄土真宗では「般若心経」は用いません。なぜかと言いますと、浄土真宗のみ教えは自分の力で悟りを開く教えでなく、阿弥陀仏の救いを基本とする絶対他力のみ教えだからです。
 宗祖親鸞聖人は、浄土三部経として「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」という阿弥陀如来の救いを説いた経典を選ばれました。
 お釈迦さまは、修行によって悟りを開ける者には、自らを律し煩悩を断つ自力聖道の道を説かれ、自分の力ではとうてい悟りを開くことが不可能な者には、絶対他力の阿弥陀仏の救いを説かれました。
 浄土真宗のご門徒が日常的に仏前でお勤めしてきたお経があります。親鸞聖人の書かれた「正信偈」です。内容をよく味わってお勤めしましょう。
「キミョウ ムリョウ ジュニョライ・・・」