沿革

Histry

 文明年間から明応の頃、六郷左衛門という深く浄土真宗に帰依されたお同行が、護法の念篤く、縁あって紀州日高郡志賀村に隠遁して、ひたすら報謝の生活に明け暮れていましたが、慶安3年(1650)2月に一宇を建立し、先祖を奉拝しました。六字の名号を掛けて、初代住職了宗法師を迎えて惣道場(そうどうじょう)としました。 その後、正徳5年(1716)2月29日、阿弥陀如来木像を本山より下付され、功徳聚山妙願寺なる寺号公称の許可を得ました。現在の本堂は、文化3年(1806)に第9代住職瑞洞法師のとき再建され、昭和59年4月に大屋根の修復を行いました。第9代瑞洞法師は医学にも精通された方でした。また、庫裡は万延元年(1860)に再建されましたが、老朽化がはげしくなったため、昭和57年に第15代清徹法師により経蔵とともに新築されました。

妙願寺本堂
内陣

境内の鐘楼
太平洋戦争で供出された梵鐘は、昭和30年4月に先代清徹師やご門徒らによって再鋳されました。鐘楼の大きさから比較すると、以前の梵鐘よりも幾周りも小さくなっているのが伺えます。

境内地にはいつの時代からあるのかわからない六字名号の墳墓がありました。
この墓は、地蔵堂ができるまでは古くから地蔵盆のおつとめの際に使用されていたともいわれ、地蔵堂の建立により、その役目を終えたとされていました。お名号も消えかけ、お花も添えられず、歳月の風雨にさらされたままでした。
このたび、宗祖親鸞聖人750回大遠忌をお迎えし、新たに聖人御直筆の名号を刻み、大谷ゆかりの廟所にちなみ、横川様式の六角柱及び宝珠の墓を建碑しました。
有縁の皆様の礼拝対象として宗祖のお心を頂くご縁に繋がりますよう念じます。

鐘楼
地蔵堂
親鸞聖人筆「六字名号」の墓基

上志賀17曲がりの地蔵さん
昔、上志賀から由良町阿戸に越す山道の17曲がりに、魔物が出没して行路人を困らせたので、通行人を魔物のいたずらから守るために祀ったのが起源であると伝えられています。道祖神的な性格を持ち、久しく信仰されてきたが、道路整備と自家用車の普及という交通革命により、この山道も今では通行する人もなく、地元の人以外は余り知る人も少ないようです。その地蔵さんは上下2体祀られていましたが、うち1体が妙願寺に移され、残る1体は由良湾を眼下に今もなお立ち続けています。地蔵堂にはこの1体を含む17曲がり周辺にあった合計9体の地蔵さんが祀られています。地元の皆さんにより生花が枯れることなく供えられ、往時を偲ぶご縁の場となっています。また、毎年8月末には「地蔵盆」が上志賀区の主催で行われています。

寺院名功徳聚山 妙願寺(浄土真宗本願寺派)
代表役員・住職楠原 晃紹
所在地〒649-1221 和歌山県日高郡日高町志賀2988
TEL0738-64-2402
FAX0738-64-2760