稲穂のように
罪障功徳の体となる こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし さはりおほきに徳おほし 高僧和讃
ここのところ、朝晩がしのぎやすくなってきまして、いよいよ実りの秋、収穫の秋といわれる季節になりました。
この時期は、果物が大きく実って色づきはじめるように、私たち人間にとってもさらに大きく、また深く充実してゆく時期でもあるようです。
月日がたつのは早いもので、和佐駅の裏のたんぼでは、五月の始めごろに植えられた苗も、この時期もう稲刈りが終わったところもありますよ。まだ残っているところでは、見事な黄金色に色づいて、赤とんぼと共に秋の風物詩として一役演じていますよ。
実るほど頭の垂れる稲穂かな
いつも稲刈りの時期がくると、きまってこの言葉を思い出します。
人間にたとえて、何とかなるやろうと力一杯にのびようのびようと背伸びしている私が「どうにもならない、すまないなあ」と気づいたとき、つまり絶体絶命の窮地に追い込まれたときに、それまでの自分が恥ずかしく想い頭の下がる人間になるということなのでしょうか。
ともすると頭は下げるものだと思っていた自分が、感謝するこころや有り難さというものに気付いたとき、自然に頭が下がっているものなのでしょう。
けれども私はというと、毎年この言葉をいただいておりながら、何年たっても自然にどころかどうにも頭が下がる気持ちになれないんですねえ、いやいや益々おごりたかぶりよこしまな自分というものが見えてくるんですよ。
つい先日もこんな自分の姿に気づきました。
和歌山の鷺森別院で用事を済ませて近くの自動販売機で缶コーヒーを買うと、ジャラジャラっておつりがたくさん戻ってきました。「たしか百円入れたはずやった」とかなんとか考えながら車の中でおつりを勘定するとそう、十円玉やら百円玉で合計六百三十円もありました。その時私は「ラッキー、儲かった。」と思わず口にしていましたね。
その後どうしたかというと、どうすることもできずにそのまま帰宅の途につきましたが、本堂の賽銭箱にそっと入れておきました。
ご讃題にいただいた
こほりおほきにみづおほし さはりおほきに徳おほし
ですが、障り(煩悩)多いこの私の氷のような固い執着心を阿弥陀さまのお働きは「至りて柔らき」水の力で打ち砕いてくださる功徳であったと頷けますよ。
その頷きこそが「頭が下がる」私に育て上げてくださるお慈悲の心であったんだと気づかされました。
彼岸花
安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかへりては
釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし 浄土和讃
今朝デイサービスの送迎の帰り、日高川沿いの「溝の淵」を通って戻って来ましたよ。
すると見事な彼岸花が道路の脇にたくさん咲いていて、利用者のみなさんと思わず見とれてしまいました。
「彼岸花」とはよく言ったもので、毎年この時期になりますと北の方から一斉に開花し始めて、「赤の点火リレー」とでも言いましょうか?カレンダー通りに満開になるのは本当に不思議、秋の風物詩でもあります。
でもこの花、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも言いますが、仏教で伝説上の天の花、サンスクリット語 manjūṣakaの音写らしいですよ。純白で、見る者の悪業を払うといわれており、天人が雨のように降らすという花だそうです。日本では白い彼岸花は滅多に見られないですがね。
去年(平成8年)、美智子皇后さまがこのようなお歌を詠まれましたので少し紹介したいと思います。
彼岸花 咲ける間(あはひ)の道をゆく
行き極まれば 母に会ふらし
初の民間出身の皇后となられた美智子さまは、お浄土に往かれた母親との再会を期して、このように詠まれたのでしょうね。
真西へと沈みゆくお日さまに手を合わせつつ、この彼岸花が続く先に母の住むお浄土を観じ、ついには母と会える喜びを歌われたのだと味わうことができるんですね。
しかし、実はもうすでにお浄土に往かれた方々と出会っているんだというお話をしましょう。
ご讃題にもいただきましたが、お浄土に往かれた先人たちは遠いお浄土で私たちの身を案じてくださっている訳じゃなかったとお聞かせいただくんです。
お浄土に行ったきりじゃなく、すぐさま五濁悪世といわれるこの世界に還って来られて、私たちのそばに寄り添い、いつでもどこでも常に護り照らす仏さまとなっているんだというんですね。
私たちの目には見えないけれど「井戸のぞく子を喚ぶ親は命がけ」のような心境で見守っていてくださる仏さまだったんですね。
今日は秋のお彼岸入りです。沈みゆく夕日に手を合わせ、遠い世界でのんびりしておられるんじゃない、、嬉しいときも悲しいときも楽しいときもつらいときも、私の人生にひたすら寄り添っていてくださる仏さまであったと感謝申し上げたいですね。