十月(神無月)

 裏山のサル
                   一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり   歎異抄

 最近ウチの裏山に数十匹ものサルが出没しまして、ご近所も農作物が荒らされてほとほと困っておりますよ。
 山の栗は全滅やし、柿も青くて固いのにかじられてしまいました。
もうこの辺まで下りてくるということは、里山の農産物や果実の味に慣れてしまっているんでしょうか。
 ロケット花火なんて役に立ちませんね。その時は「キッキィー」と暴れ回るんですが、しばらくすると平然とエサにむさぼりついているありさまですわ。
 大雨の日でもカボチャが狙われまして、ロケット花火も雨の日には無力だと気づきました。
 野鳥観察に来ていた大阪の方も車に置いていた弁当を盗られたそうですよ。そりゃぁ山の中で窓ガラス空けてればどうぞ食べてくださいって言ってるようなもんですね。
 仏典童話にこんな話がありまして、たしか「猿の橋」とか言いましたよ。
 五百匹の仲間を連れたサルの王さまがいて、山の果実が不作だったのでこのまま仲間が餓死するのを恐れてふもとのお城に下りてくるんですね。お城の近くにはたくさんの果実が実っていたんですよ。王さまザルは悪いと思いつつ空腹の仲間のためを思って、その果樹園に忍び込んでは食べ物をみんなに分け与えたそうです。
 そんなある日、果樹園でお城の家来が待ちかまえて一網打尽に捕まえようとするんですが、王さまザルはいち早く気づいて仲間ザルを逃がすために下りてきた方向と逆の谷に向かってみんなを誘導するんです。しかし谷に差しかかると橋が壊れていて行き止まりになっていたんです。
 王さまザルは全員が向こう岸に渡れるように藤ヅルで橋を作ろうとするのですが、もう少しというところで届きませんでした。
 足にツルを巻きつけ背伸びをするとかろうじて向こう岸の木に届きました。「早く 今のうちに!!」と仲間を渡らせたんですが、指の感覚がなくなってき始めていたんですね。何とか全員が渡りきったその瞬間、王さまザルは谷底に落ちてしまうんです。
 追いかけて、ことの一部始終を見ていたお城の王さまと家来たちは「あっ!」と叫び、王さまはすぐさま「サルの王を助けよ!」と家来に命じるんです。そして「明日から毎日ここの果物を山に届けてサルに与えるんだ」と目にうっすらと涙をためて言ったそうです。

 人間にとってサルやシカ、イノシシたちは時として害獣になることもありましょう。
 でもこの物語は私たち人間が欲望の尽きないことを教えてくれ、全ての命が尊いものであり、自然との共生、共存の大切さを学ばせていただく童話でした。
 それにしても、裏山のサルはいつになったら山に帰ってくれるんでしょうね?

(その後、入所者のTさんから「あのとき話してくれたサルは今はどうしてるんかいな?」と質問されました。「さあ、山奥に帰っていったのかもう最近は見かけませんわ」と返答した翌日、柏峠で子ザルを何匹も抱いた集団を見かけ、そのかわいさとたくましさに感動し、思わずバイクを止めました。すると小さなウリ坊(イノシシの子ども)二頭が脇道から出てきて、百メートルほどバイクと併走、、、、しかしあんまり増えられると困るんやけどなぁ)




 金木犀
                        染香人のその身には 香気あるがごとくなり
                           これをすなはちなづけてぞ 香光荘厳とまふすなる                                
                                               浄土和讃

 すっかり秋めいてきましたね。東庭のキンモクセイが知らぬ間に満開になってますよ。部屋の窓を開けたらほら、ほのかな甘いかおりがするでしょう。
 私は、このかおりが好きですよ。市内でも車を降りると、風に乗って漂ってくるかおりに、何とも言えない甘酸っぱい気持ちになって、友人につい、「初恋のかおりやなあ。」って呟くと、ぶっきらぼうに「このにおい、鼻につくような安物の香水みたいもんや。」と、軽くあしらわれることもありまして・・・・。
 近頃はね、髪の毛の色、茶髪や金髪は当たり前、男性用化粧品とかなんとかいうのもいろんなものが出ていまして、容姿にこだわると言いましょうか、「男は度胸、女は愛嬌」なんて古くさい時代だと、誰もが感じている世の中ですよ。
 京都での学生時代の頃、長屋の隣に住んでいたおばあちゃんの、あのかおりが懐かしいですね。当時八十歳ぐらいで、一人暮らしだったんですが、いつも玄関先の縁側で和服姿で座っていて、ニコニコとほほえんでおられました。しわくちゃになった顔いっぱいにほほえまれる豊かな表情が印象的で、その笑みには、ごく自然にその場をほのぼのとおっとりさせてくれるかおりが漂っていたんです。
 このかおりはにおいのするものではありませんが、何と申しましょうか、雰囲気というか存在感というか心の安らぎを与えてくださるものだったんです。
世の中には、思わずうっとりとするような華美な花もあれば、針のようなトゲをもつ花もあります。
 できれば容姿にこだわらず、時には人にぬくもりや安らぎを感じさせ、時にはともしびとなる、そんな花になりたいですね。すがたはしわくちゃの爺ちゃんや婆ちゃんやけども、その顔いっぱいに生きている喜びをあらわしているお年寄りも、ここには大勢いらっしゃることですから。
親鸞聖人は、お念仏のよろこびかおる同行の方々のことを、「染香人」とおっしゃって、敬っておられますよ。

  姿より かおりに生きる 花もある

今が盛りのキンモクセイによく似合う言葉ですね。