十一月(霜月)

   薪ストーブのぬくもり

               如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして
                   回向を首としたまいて  大悲心をば成就せり    正像末和讃
 朝夕めっきり肌寒く感じる季節になりましたね。
東北地方では初雪便りもチラホラ、いよいよスキーシーズンの到来かと胸がワクワクしてきていますが、スキーヤーとしては今年暖冬にならないか心配しつつもあまりに寒いとつらいしなぁとかあれこれ考えてしまいますね。
 去年のことでしたが、長野県の志賀高原に友人達と二泊三日でスキー旅行にでかけました。
 外は氷点下でガチガチ震える猛吹雪、ペンションの中はというと薪ストーブがホールに設置されていて二十度以上もありましたよ。
 エアコンや灯油ストーブとはひと味違うぬくもりに癒され、ウトウトとうたた寝したものでした。
 なんでも遠赤外線効果と輻射熱というぬくもりで、まるで日向ぼっこしているような暖かさ、心身共にリラックスできましたよ。
 その自然の暖かさは何ものにも代え難いものでしたね。
 さて、今月は近所のお寺で報恩講さんという法要があちこちで営まれています。親鸞さまのお開き下さったみ教えに報恩感謝申し上げる浄土真宗で一番大切な法要なんですが、「報恩講」の恩について味わってみたいと思います。
 恩とはやさしい言葉で言いますと、「おかげさま」「すみません」「申し訳ありません」「ありがとう」ということができますね。近頃あまり聞かれなくなってきましたね。この言葉は私たちが生きていくための基本に関わる大切なものなんですよ。
 おかげさまのいのちであり、済まない支えであり、申し訳ない姿であり、有ること難い願いだったとお礼申し上げることだと味わっています。
  如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして
  回向を首としたまいて  大悲心をば成就せり
 阿弥陀さまのご本願のいわれをたずねると、苦しみや悲しみに苦悩する人間を見捨てることができず、私たちに大きな慈悲の心を照らすことを第一として、ご本願を建てられたんですね。
 何ともほのぼのとしていて暖かいお慈悲のぬくもりを感じるじゃありませんか。それこそ薪ストーブの暖かいぬくもりなんですよ。
 ストーブの前で安心しきって休んでいられるのもこのお慈悲の熱に暖められているからこそだと思うんですね。
 苦しみ悩みを抱きながら迷っている私を、「苦悩の有情を捨てずして」と、大悲し続けてくださっているご恩に報いる尊いご法座が報恩講なんですね。
 今日の月例法要、お慈悲の暖かさを味わう機会をいただきました。


 紅 葉
           岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる  甲斐 和里子

 中庭の紅葉が日に日に色づき始めてきましたね。
 真っ赤とまではいきませんが、所どころほんのり赤く染まったその姿に、秋の深まりを感じ取れますね。このあと法要が終わったら一緒に中庭を散策しましょうよ。
 京都嵐山や東山にも紅葉の名所がたくさんありまして、ちょうどこれから見頃を迎える頃でしょうか?
 宇治の平等院、東福寺や南禅寺は京阪沿線にあり、学生時代にはよく訪れたデートコースでしたね。
 お昼に見る庭園の紅葉もすばらしいけれど、日が落ちてライトアップされたモミジって何とも言えませんねぇ。
 全国から訪れるたくさんの観光客に誇らしげにその勇姿を見せてくれる樹勢を眺めると、今から散ろうとする木かと目を疑うほど立派で堂々としているようです。そして偉大なる生命の息吹を感じ取れるんです。
 しかしねぇ有名な紅葉スポットのそのほとんどが人工的に植えられた庭園や公園であって、近くで見ると確かに美しいんだけど口には言えませんが何か物足りなさを感じてしまうんですね。
 昨日はデイサービスの送迎で美山村の寒川まで二往復しました。
山あいが一面複雑な絵の具を塗りまくったかのような色んな色で飾られ、杉や檜の緑でしょう、ケヤキにイチョウやドングリなんかの広葉樹の黄色があって、茶色があり、モミジ、楓、ハゼの紅色がその中で目を留めましたよ。空を見上げると白い雲に青い空、なんか芸術家みたいなことを言ってますね。紅色や黄色と言っても単なる色ではなくって、実に絵の具なんかでは再現できそうにないどっしりとした彩あいでしたね。
 そんな風景を眺めつつ

  裏をみせ 表をみせて 散る紅葉

という良寛さんの俳句を思い出しました。
 人間の生きざま死にざま「世辞の句」とでもいいましょうか。
 モミジの葉には表があり、裏がありますよね。裏のない葉も表のない葉もありません。表裏が一つだからこそ、モミジの葉なんですね。人間社会での是や非、善や悪、貧や富、貴や賎、これらもすべて表裏一体だと言えます。
でも私たち人間にとっては表も裏も全て隠さず生きることは難しいことですよね。少しでも他人に善人と思われたいし、少しでも金儲けしたい。裏で考えていることは包み隠しておきたいのが私の本性なんですよ。
 良寛さんはそんな自分に気づかれておられたんでしょう。
 紅葉のように裏も表も見せて散ってゆける生き方は、心に広い余白がなければできないように思いますよ。
 京都女子大学創始者の一人、甲斐和里子さんの生きざまも、「たださらさらと水の流るる」ように送られた一人でありました。