十二月(師走)

 命のタスキリレー
             南無阿弥陀仏をとなふれば 十方無量の諸仏は
                   百重千重囲繞して よろこびまもりたまふなり  現世利益和讃

 今年も残りわずか、2週間足らずとなりましたね。だいぶん寒さにも慣れてきた頃ですが、朝夕ぐっと冷え込みがきつくなってきましたよ。えっ、そんなことないって?みなさんは暖房が効いている部屋やからあまり感じないんでしょうね。
 さて、昨夜テレビを見ておりますと箱根駅伝の特集が放送されておりました。正月の二日、三日の二日間にわたって大学生が東京を出発して箱根の山を往復する駅伝ですよ。
 往路の過酷な上り坂も大変でしょうけれど、下り坂を猛ダッシュで駆け下りるのも転倒する選手もいるほどものすごい体力がいるんですよね。私も学生時代は琵琶湖でボート競技をしていましたからその辛さは身にしみて理解できますよ。
 箱根駅伝は往路五区と復路五区の計十区に分かれていまして、つまり十名の選手がそれぞれの区間を走り抜くわけです。
 大学名の入ったタスキを次の走者に渡してリレーするんですが、決められた時間内に次の走者にたどり着かないと繰り上げスタートとなるんですよ。そのため、それまで走っていた選手たちにとっては、自らの学校のタスキが全区間つながらなかったという悔しさがにじみ出る瞬間だともいわれて、実際にテレビ放送では「無念の繰り上げ」という表現も使われるそうですよ。
 選手たちは次の走者に意地でもつなげようと必死でもがくわけです。
 そうして走りきった選手はというと、疲れでその場にしゃがみ込んだり倒れたり、すぐに救護班の世話になって癒すんですが、少し経つとすぐまた次の走者の応援に向かうそうですよ。
 最後の十区のゴール前では、それまで走りきった選手たちが全員集まって最終走者の走り終える姿を自分のことのように見つめて応援してますよね。
 実に感動の瞬間でもあります。
 私たちのご先祖の方たちもこのような心境で私たちを見守ってくれているんではないかと思いましたね。

  南無阿弥陀仏をとなふれば 十方無量の諸仏は
      百重千重囲繞して よろこびまもりたまふなり

 今、現役でタスキを掛けて走っているのが私たち、そして走り終えたご先祖がたが私の周りを百重にも千重にも取り囲んで、一生懸命走っている姿を我が事のように応援し続けていてくださる。片時も休まずそばで寄り添っていてくださるような気がします。
 へこたれそうになって足が止まりそうなときもあります。もうダメや!これ以上は無理って思うときもあります。
 そんなときでも、走り抜いて次にタスキをつなげてゆくことの大切さを「南無阿弥陀仏」の声となって私に元気づけてくれているんだなぁとあらためて感謝申し上げました。


 除夜の鐘

               浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし
                      虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし  正像末和讃

 いよいよ二十世紀もあとわずか、残り二週間足らずとなりました。
この二十世紀は大きな戦争があって、「争いの世紀」と言われています。
 みなさんも経験なされた第二次世界大戦はもちろんのこと、南北戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など、世界中で国同士の争いが絶えなかったんですね。また同じ国や地域のなかでも、民族、宗教、政治などを理由に、何千何万人という犠牲者が今なお出ていることも戦争と全く同じことでありながら、地域紛争とかいう言葉に紛れてピンとこず、「いのちの重み」が軽視されているんです。
 またこの世紀は、人間の欲望を満足させるために手段を選ばずに進められてきた「環境破壊の世紀」とも言えますね。
 工場や自動車の排気ガスなどの公害、森林伐採、環境汚染と、自然を平気で壊してきたツケが「地球温暖化」や「オゾン層の破壊」といわれる宇宙規模の破壊へと取り返しのつかない事態に至ってしまいました。
 これから訪れる二十一世紀が心の時代といわれるのもうなづけるわけですね。
 その新世紀がいよいよ開幕しようとしています。
 私のお寺では毎年恒例の行事でもある除夜の鐘を撞きに、地元の小中学生が十人ほど集まって、百八つどころか多いときには二百回ほど鳴るときもあったりして、除夜の鐘を境に一年が終わりまた始まるんです。
 ある人曰く、「除夜の鐘は、自分の煩悩を振り払うためにあるんや、鐘の音が汚れた心身を清浄にしてくれるから」と、
 確かに除夜の鐘の音が何とも言えない味わいのすることは、毎年楽しみに鐘を撞きに来られる友人のKさんもよくおっしゃってましたし、心洗われる想いもしますよ。
 でも鐘を撞いたからといって、そうやすやすと積もり積もった煩悩が瞬時に消えることはないんですよ。

 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし

 鐘を撞けば撞くほどに、逆に計り知れない煩悩の数と、次々とわき起こる不浄の思いが尽きないことに気づくことのできる機会が、一年の最後の法座であり、新年に向けて新たに思いを馳せる「除夜会」という行事ではないかと思いますよ。
 みなさん、今年最後の月例法要となりました。あとわずかで新しい世紀となりますが、来年もどうぞよろしくお願いします。